私と和紙のゆるい関係

障子の和紙交友

10年以上前の一時期、私は紙漉き(かみすき)をならってました。

楮(こうぞ)や三椏(ミツマタ)のような樹皮の繊維から和紙をつくりあげるのが「紙漉き」です。

 

紙漉き講座の5年間

仕事や制作をしながらなので毎日みっちりではなかったけれど、月に2~3回を5年間。

手取り足取り、一流の職人さんに教えてもらえた貴重な体験になりました。

 

私自身は紙漉きを本職にしようとは思っておらず作品制作のヒントくらいに考えて学んでました。

当初15人たらずから始まった講座は、おのおのの都合もあって最後のほうでは10人を切っており、さらにそのうち二人が業界の別団体に職人見習いとして引き抜かれたり…。

しかも、最終的に本物の職人となったのはその引き抜かれた二人だけでした。

 

まあ講座の内容やペースにも無理があったし、あの課程を修了しただけで職人としてモノになるかといえば、無理だと思います。

一部研修生は、スタート間もない頃から「これだとカルチャー(スクール)のレベルでしかないよね」とあきらめムード。

 

なかには本格的に職人を目指して入ってきた人もいたのですが、研修費が安かったこともあって多くがその「カルチャー」感覚だったため、研修生の間で温度差があったのも事実です。

 

私と紙漉き

でもそのときの仲間とはいまだにいくらか交流があって、たまに一緒にご飯を食べたり、個展があると来てくれたり、小さい作品を買ってくれたりと、大切な友人たちになっています。

 

私自身はもともと大学時代は絵画(油絵)を専攻していたのだけど、試しに作った作品で紙を使い始め、丈夫そうだと和紙にも手を出したのがこの世界に足を踏み入れたきっかけでしょうか。

 

そのうちもっと和紙について知りたくなりたまたま新聞で募集していた四日間研修に応募。

そこで知り合った女性(本職はデザイナー。後年、有名写実画家の奥さまだったことが判明)の一人と仲良くなり、一緒に遠方まで、三日間の紙漉き研修旅行に行ったこともあります。

そして、この女性が紙漉き講座の募集を新聞でみつけてきて、一緒に応募しようと誘ってくれました。

 

彼女は結局、週末に通えないことが理由で書類選考を落とされてしまい、週末OKだった私だけ合格してしまいました。

なんかアイドルデビューのきっかけとかでよく聞くパターンだな(笑)

 

講座を修了して、まったくのド素人さんに簡単な紙の漉き方を教えるくらいには技術を身につけられましたが……

やはり講座修了後は定期的に紙漉きをする機会がなくなり、たまに漉かせてもらうと身体が忘れていて焦りますね。

 

紙漉き恩師の今

で、その紙漉き講座で技術を教えてくれた恩師が、現在体調を崩されているそうです。

 

先生はその気さくさに似合わず大御所なので、紙漉き関連のポスターなどでは必ずといっていいほど、写真が使われているような人。

いつまでも元気で一緒にお酒を飲んでくれそうな気がしていましたが、よく考えるともう80代も半ばなのですよね………。

 

先生はいいかげんでちょっと困った人ではありますが、基本ニコニコと人なつっこくて好かれる性格なこともあり、これまで業界のドロドロした政治世界を泳ぎながら、調整をはかってくれてました。

もし先生がいなくなってしまうと、あまり評判のよろしくない中堅職人さんあたりがかわりに団体トップにきて、さらに業界の風通しが悪くなりそうです。

 

職人にならなかった私などはいつまでもたっても「お客さん」あつかいなので、あの業界がどうなろうと関係ないといえば関係ないのですが…

やっぱり悲しい気持ちになります。

 

そしてあちらの地元で和紙に関わった仕事をしている友人たちは、今後大変そうだなぁと同情を禁じえません。

とにかく、この週末は先生のお見舞いにいってくるので先生にももうちょっと元気でがんばってもらえれば良いなーと思う次第です。

 

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